私は、本日は仕事納めですので
がんばって原稿書きあげます。
さて皆さん 今年はどういう年でしたか?
1年前の自分からどのくらい
成長できましたか?
わたしは、今年はウェビナーの
自動化をテーマにしていたんですが
一定の売上が見込めるようになった。
FB広告のスキルもだいぶ上がった。
ただ自動化というのは、
いろんなレベルがあるんで
来年は引き続きさらにハイレベルな
自動化をしていきます。
仕組を作れれば
完全不労所得化も
可能になりますからね。
でま、ビジネス的にはそんな1年でしたが、
今年とてもよかったことは
今年後半にかけて、何人かの
とても素敵な人に
出会う事ができた事。
うわっ この人凄いなっていう人と
お仕事させてもらえるっていうのは
最高ですよね。
で、そういう魅力的な人って
やっぱりギリギリなところから
這い上がってきた人が多い。
そういう人が、私は好きなんだなと
再確認した。
ま、私自身が天国と地獄を
経験しているからかもしれないですが。
そうやって這い上がってきた人は
人の痛みを知っているので
心が美しいとおもう。
で、私は昔から
自信家なところがあって
自分が本気でやれば
何だってできるぞっていう
意味不明な自信が
あったんだけど
(妻にはそれがムカツクっ
て時々いわれてた)
その意味不明な自信が、
私の人生の浮き沈みを
作り出しているってことに
気が付いたんですね。
これまでの私は
切った貼ったの 博打人生
勝負事が大好きだったんですが
(音楽プロデューサーって
そういう人種が多い)
でも、それではダメだと
因果応報の世界では
ダメなんですよ。
大事な事は考え方。
あなたの人生は
あなたの考え方が
作り出しているって事
そうやっぱり 結局
マインドが
一番大事なんですよね
【私は何者でもない】
これが腑に落ちた
それが私の大きな成長かも。
さて、本日仕事を終えたら
わたしは明日は朝イチで
妻の実家 仙台に移動。
仙台でお正月を迎えます。
【編集後記】
私は 24歳~26歳 の
2年間仙台で暮らしていました。
当時ソニーミュージックの仙台支社が
仙台市のど真ん中にあった。
で当時は東北6件の
ラジオ、テレビ局を回る仕事をしてたんです。
楽しかったな~
なぜか? 仕事が超楽で
経費も使い放題だったから。
そもそも当時の
レコード会社宣伝の仕事とは
アーチストを
TV曲やラジオ局、にアーチストを
ブッキングして露出を図る。
曲をいっぱい放送してもらう事
あるいは雑誌に記事を載せてもらう仕事。
入社時は当初ニッポン放送担当になって
1週間に50回オンエアしろとかの
ノルマが課せられ、
何とかそれをクリアするために
各局のディレクターと仲良くなる
ために、夜中まで飲むし、
なんだかんだ
企画をかんがえて持ち込んだり
結構消耗する仕事だった。
東京ではキー局には
ライバルも多数日参していて、
各社が押している新人がある。
でもキー局がOAできる
曲数はきまっているので
それの取り合い。
みな、いかにディレクターに
食い込むかみたいな。
なので担当者は
米つきバッタみたいに
なるわけなんだけど
でも地方の担当者になると
立場が逆転する。
地方にアーチストが
キャンペーンで来ること
自体が珍しいので
ブッキングをお願いすると大歓迎される。
だからほぼ断られない。
お願いされる側で
仕事ができるんですよね。
というわけで
仕事は超楽 しかも
アーチストが地方にくると
アーチストケアで、うまいもの
食わせないといけないので
仙台中のうまいといわれるところは
ほとんどいった。それも会社の経費で
マジで仙台って
食べ物おいしい町なんですよね
魚介類最高だし、牛タン発祥の地だし。
酒もうまいし。
それから冬になると30分でスキー場に
行けるし、
いい街ですよ。仙台は。
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